私と競馬(3)

父はよくLPレコードで音楽を聴いていたが、たまに競馬の実況をLPで聴いていた。

よく聴くと毎回同じもので、よっぽどその馬が好きだったのだろうと感じさせた。

貴公子テンポイント…。そう、オールドファンの最も多くが愛した馬であろう。

当時の競馬は、ただ単に競馬というもの以外に、有名な詩人であり劇作家でも

あった寺山修司の文章とともに競馬を別の角度から触れることができる、幸せな

時代だったらしい。父からテンポイントの話は何度も聞かされた。父もよっぽど

好きだったのだろう。トウショウボーイとの世紀の一騎打ちの後の

日経新春杯で、故障し治療の甲斐なく天国へと行く。日本の競馬史において

最初で最後の貴公子と呼ばれた馬である。リアルタイムで見たかった…。



もし朝が来たら
グリーングラスは霧の中で調教するつもりだった
こんどこそテンポイントに代わって日本一のサラブレッドになるために

もし朝が来たら
印刷工の少年はテンポイント活字で闘志の二字をひろうつもりだった
それをいつもポケットに入れて
弱い自分のはげましにするために

もし朝が来たら
カメラマンはきのう撮った写真を社へもってゆくつもりだった
テンポイントの最後の元気な姿で紙面を飾るために

もし朝が来たら
老人は養老院を出て もう一度じぶんの仕事をさがしにいくつもりだった
「苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ」ということばのために

だが
朝はもう来ない
人はだれも
テンポイントのいななきを
もう二度ときくことはできないのだ
さらば テンポイント

目をつぶると
何もかもが見える
ロンシャン競馬場の満員のスタンドの
喝采に送られてでてゆくおまえの姿が
故郷の牧草の青草にいななくおまえの姿が
そして
人生の空き地で聞いた希望という名の汽笛のひびきが

だが
目をあけても
朝はもう来ない
テンポイント
おまえはもうただの思い出にすぎないのだ
さらば
さらば テンポイント
北の牧場にはきっと流れ星がよく似合うだろう


寺山修司『旅路の果て』より